このブログ、不登校の記事を2008年に始めたように記憶している。
もう10年過ぎた。
子どもたちが小学校の途中で不登校になった。
その時にはすぐに書けるものではなく、息子が再び高校に行きはじめて落ち着いた頃に、振り返って書きはじめた。
当の本人たちも
『あの時はこうだった』と振り返り、言葉に出きるようになってから書き留めたようなものが多く書かれている。
私たち親子の記録。
本人たち当事者の言葉、他の同じような仲間たちの思い。先輩お母さんの言葉。そして親としての思い。
学校や先生との関係など。
🍀🍀🍀🍀🍀🍀
自己紹介には
不登校で来た方には、昔の記事を読んでください
なんて書いてある。
Yahooのブログが今年で無くなってしまうという。
不登校の書庫を通して、多くのブロ友さんと出会った。
その後、長いお付き合いの中で、文通したかた、リアルでお友だち付き合いをさせていただいた方が何人も繋がっている。
思い出は走馬灯のように(*´-`)である💝
少なからずショックだが、やらなければならないことがある。
今は細々と続いているこのブログ。
多分、アメブロにお引っ越しすると思う。
そして、どうしよう不登校の書庫。と悩んでいた。
私は、子どもが成人したいま、閉鎖と共に削除されても良いかな。。と考えていたが、
娘が
「あの時に感じた感想は、あの時のモノなのだから残した方がいい」と言ったのには驚いた
不登校の親の会は今も続けている。
拙い文章でも、その会で何かに役立てられないかと一部はプリントアウト📄して
持ってはいる。
不登校の親の現役からはほど遠いいま、読み返してリアルな今の親御さんたちに伝える手だてにしたりしている。
「全てを手元に残しておいた方がいいよ」という彼女の言葉は、何だか嬉しい言葉だった。
🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀
こもれび 不登校親の会
毎月一回(土曜日)に
千葉市花見川区 花島コミュニティーセンター で開いている。
昨年は今までになく、多くの問い合わせと参加が増えた。
問い合わせが無くなったら辞めようと思っていた会だけれど、不登校の親ごさんは入れ代わりながら来てくださっている。
お母さんたちが不安な気持ちをぶつけて喋って、少し肩の荷を下ろしていってもらう、そんなお茶飲み会として続いている。
家で過ごす子どもたちに身近に接しているお母さんの、応援になればという思いはずっと変わらずである
もう10年過ぎた。
子どもたちが小学校の途中で不登校になった。
その時にはすぐに書けるものではなく、息子が再び高校に行きはじめて落ち着いた頃に、振り返って書きはじめた。
当の本人たちも
『あの時はこうだった』と振り返り、言葉に出きるようになってから書き留めたようなものが多く書かれている。
私たち親子の記録。
本人たち当事者の言葉、他の同じような仲間たちの思い。先輩お母さんの言葉。そして親としての思い。
学校や先生との関係など。
🍀🍀🍀🍀🍀🍀
自己紹介には
不登校で来た方には、昔の記事を読んでください
なんて書いてある。
Yahooのブログが今年で無くなってしまうという。
不登校の書庫を通して、多くのブロ友さんと出会った。
その後、長いお付き合いの中で、文通したかた、リアルでお友だち付き合いをさせていただいた方が何人も繋がっている。
思い出は走馬灯のように(*´-`)である💝
少なからずショックだが、やらなければならないことがある。
今は細々と続いているこのブログ。
多分、アメブロにお引っ越しすると思う。
そして、どうしよう不登校の書庫。と悩んでいた。
私は、子どもが成人したいま、閉鎖と共に削除されても良いかな。。と考えていたが、
娘が
「あの時に感じた感想は、あの時のモノなのだから残した方がいい」と言ったのには驚いた
不登校の親の会は今も続けている。
拙い文章でも、その会で何かに役立てられないかと一部はプリントアウト📄して
持ってはいる。
不登校の親の現役からはほど遠いいま、読み返してリアルな今の親御さんたちに伝える手だてにしたりしている。
「全てを手元に残しておいた方がいいよ」という彼女の言葉は、何だか嬉しい言葉だった。
🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀
こもれび 不登校親の会
毎月一回(土曜日)に
千葉市花見川区 花島コミュニティーセンター で開いている。
昨年は今までになく、多くの問い合わせと参加が増えた。
問い合わせが無くなったら辞めようと思っていた会だけれど、不登校の親ごさんは入れ代わりながら来てくださっている。
お母さんたちが不安な気持ちをぶつけて喋って、少し肩の荷を下ろしていってもらう、そんなお茶飲み会として続いている。
家で過ごす子どもたちに身近に接しているお母さんの、応援になればという思いはずっと変わらずである